噛むことと記憶

Chewing-and-memory

はじめに

噛むこと」と「学習の効果」については、最近ではほとんどの人に認知された情報となりました。

巷では、ワーキングメモリーを活用するために「噛むこと」や「ブレインフーズ」を摂取することで「アセチルコリン」を分泌させて「仕事」や「学習」を効率よく行うようにしています。

ちなみに、アセチルコリンとは、副交感神経、運動神経などの神経細胞から放出される神経伝達物質です。神経細胞から神経細胞へ情報が伝わる際、電気信号を伝える役割を担うのが、神経伝達物質であるアセチルコリンです。

このアセチルコリンが、不足すると認知障害などの症状を引き起こします。

事実、アルツハイマー型認知症では、アセチルコリンの分泌量の減少が顕著にみられます。1) 

神経細胞から生産されるアセチルコリンは、正常に咀嚼できない状態が続くと減少することも明らかになっており、さらに、認知症が進んだ患者さんに新しい入れ歯を作りよく噛めるようにすると認知症が改善して元気になったという報告もあります。

このことは、咀嚼機能の維持が、認知機能の低下防止に重要な意味を持つことを示していることだと思われます。

また、噛むとアセチルコリンという学習能力に深く関わる神経伝達物質が増加し、脳がより活性化することもわかっています。

さらに、噛むことの基本である咬合が不調和な場合は、アルツハイマー病の原因となるアミロイドβを脳内に正常値の3倍にまで大量に増加させ、更に咬合を改善することにより脳内のアミロイドβを正常値まで減少させることが動物実験で明らかになってきました。

咬合がしっかりして咀嚼できることは、脳を健康に保つ重要なファクターなのです。

そこで、本日は、「学習」や「ワーキングメモリー」に関与する記憶について、噛むこととの関係を探究してみました。

記憶とは何なのか?

Photo by Rirri on Unsplash

まず、勉強ときっても切れない覚えること、「記憶とは何」なのかについて探究してみます。

記憶とは辞書を引くと、「ものごとを忘れずに覚えていること」また「覚えておくこと」と記述してあります。

英語では、「memory」と綴ります。もうほとんど日本語化していますので、説明するまでもありません。

動詞は、「memorize」で「記憶する」とか「暗記する」で使用します。

memory」は意識しなくて覚えている記憶に使い、意識して記憶する場合は、「retention」を使います。

retention」は、歯科では、レジン前装冠の金属部分が機械的結合を増すためにつけるリテンションビーズとして使われています。この様に、保持するという意味で使われています。

ところで、あなたは記憶についてどのぐらい知っているでしょうか?

では、まず、記憶のメカニズムについてです。

記憶のメカニズムは?

図1:記憶のメカニズム

記憶のメカニズムは、図に示す様に「記銘」→「保持」→「想起」の3ステップで行われているというのが定説です。

これらのステップは、海馬大脳皮質で行われてると認識されています。

ちなみに、記憶をしないと思考することはできませんし、想起できないことは行動として実行することはできません。

逆に考えると想起できることは行うことができます。

実は、我々の行動は、脳にインプットした情報をアウトプット(想起)することによって行われているのです。歯科医院での治療、歯磨きの方法の指導等、すべての行動は、記憶によって行われています。当たり前の話ですねぇ。

ちなみに、ほとんどの人が脳に記憶として保持して、想起できる状態にしてしまえばほとんど無意識で行っています。

あなたが今している行動もすべて同様です。

情報は脳の海馬で振り分けられる!

図2:情報の整理

脳に送られる情報は、まず海馬に送られ、一時的に記憶されます。これは「短期記憶」といわれています。

刺激の強さ、頻度、重要度等により、必要な情報と認知されたものが大脳皮質に送られて「長期記憶」とされます。

記憶は脳科学では?

最近では、脳科学で記憶は「海馬」が深く関係して海馬で製造されて「短期記憶」と「長期記憶」の振り分けをされて、必要な情報は大脳皮質に長期記憶として保存していることがわかってきました。このことは裏を返せば、海馬が必要な情報と判断しない限り記憶されないことを意味します。つまり記憶したいものは海馬に必要な情報だと思い込ませてしまえば良いことになります。

阿左見歯科 記憶する方法より

想起とは?

想起は、英語では「anamnesis」で、ドイツ語はanamneseです。医学界では略して「アナムネをとる」と言い、問診をするときにドクターが言っています。患者さんに現在より過去の病態の状態を思い出して表現してもらいます。そういう意味では想起に他なりません。

実は、プラトンやアリストテレスの時代から想起のことは論じられていました。

想起は、記憶のなかから重要なことをよみがえらせようという能動的な知性の働きとし、プラトンは『メノン』のなかで、「探求するとか学ぶとかいうことは、じつは全体として、想起することにほかならないからだ」と言っています。

話はそれますが、ソクラテスの弟子がプラトンで、プラトンの弟子がアリストテレスです。

今から、2400年ぐらい前の時代ですが、現在になっても人間はほとんど同じ様なことを考えています。根本的にはあまり変わっていないのかもしれません。

想起が超大事!

図3:学習のヒエラルキー

たくさんの本を読んで、たくさんの情報をインプットすると良さそうに思いますが、実はアウトプットしたほうが記憶の維持力もアップします。

あまり偉そうな事は言えませんが、勉強もこれの応用です。非常にざっくりですが、勉強は、人に教える方がよく理解できるということはよく言われています。これは、アクティブラーニングと呼ばれ、有名なところでは灘高がこの方法を取り入れています。

手前味噌になってしまいますが、当ブログもこの方法を選択しています。実際に探究したことをブログにして整理してアウトプットすることで、他人に情報を伝え、なおかつ自分にも再度インプットすることになるからです。😁

理解している」「覚えている」と言う事は、「想起できること」には他なりません。想起とは、覚えたことを脳からアウトプットすることです。逆に言えば「想起できないもの」は、「理解できていない」「覚えていない」ことになります。「想起すれば、再インプットすること」になります。

想起が超大事」です。

必要情報とは?

非常にざっくりですが、必要情報として認識させるには、あなたが生きていく上で、「必要なこと」あるいは「興味があること」しか必要情報として脳は認識しません。

このことについては、 へぇー体験」、「記憶する方法でも触れていますので参照してください。

とにかく、海馬に必要情報として認識させ、大脳皮質に長期記憶すれば、想起が可能になります。

人は、好きで、楽しいことは、自然と覚えてしまいます。知らず知らずのうちに長期記憶として脳に記憶してしまい簡単に想起しています。

子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者

孔子

どうして忘れてしまうのか?

これについては、TEDにわかりやすいビデオがありますのでこちらを参考にしてください。

ざっくり、記憶と脳について理解してもらったところで、記憶のメカニズムの最初の入り口の海馬について探究してみます。

海馬とは?

Hippocampus image

海馬は、上のシェーマに示すように脳の中にあるタツノオトシゴの様な形態をした器官です。

海馬のことを語るにはH.M.のことを避けて通れません。今日の海馬に関する情報はH.M.のおかげといっても過言ではありません。

H.M.は誰?

通称H.M. 彼の本名は、Henry Gustav Molaisonです。生前はプライベートを保護するため実名は明かされず、H.M.と言われていました。

彼は、小さい時から癲癇もちで、27歳の時に癲癇の治療のため、今では考えられないことですが、海馬を含む内側側頭葉を切除されました。

これをきっかけとして、重篤な健忘症が起こったことから、海馬機能の解明に大きな貢献をしました。脳機能と記憶についての理論の発展に大きく貢献したことはあまりにも有名です。

海馬は司令塔

図2に示すように、海馬では、日常的な出来事や学習による情報は、睡眠時に必要な情報と不必要な情報に整理整頓してから、大脳皮質という部分へ保存しています。

つまり海馬は、「記憶を仕分ける司令塔」なのです。

海馬は、司令塔なのでとても強そうですが、意外とストレスに弱く、ストレスで萎縮してしまうことがわかっています。

そこで、ちょっとストレスについて整理してみます。

ストレスについて

ストレスというワードは、普通に日常的によく使われるワードですが・・・

ストレスという言葉は、元々は物理学用語でした。

この用語を医学会に持ち込んだのは、米国の生理学者ウォルター・キャノン(Walter Bradford Cannon, 1872-1945)と、カナダの内分泌学者ハンス・セリエ(Hans Selye, 1907-1982)という研究者でした。

彼らの研究によって、図4に示すように、ストレス刺激に対する多様な生体の反応には、交感神経-副腎髄質の自律神経系と副腎皮質ホルモンの内分泌系が関与していることが明らかになりました。

図4:ストレス俯瞰図

ストレスが起きると、脳はどんな反応を示すかざっくりですが・・・

図4に示すように、ストレスは、まず大脳新皮質でキャッチされ、神経伝達物質が分泌されます。

それらを受けとった視床下部からはCRH(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)が分泌されます。
その後、「内分泌のルート」と、「自律神経のルート」の2つに分かれます。

内分泌ルートについて(HPA系)

CRHにより、視床下部の下にある脳下垂体という部分からACTH(副腎皮質刺激ホルモン)と、脳の神経細胞間の情報伝達を担う神経伝達物質の1つ、β-エンドルフィンが分泌されます。

ACTHは、副腎の副腎皮質という部分を刺激して、コルチゾールというホルモンの分泌させます。このコルチゾールは代謝活動や免疫を活性化させ体をストレス状態から守る働きをします。

ただし、過剰に分泌されれば自律神経のバランスを崩すだけでなく、血圧や血糖値が上がり過ぎてしまい、結果的に免疫力を低下させてしまいます。

β-エンドルフィンは、別名脳内麻薬とも呼ばれ、一時期、本なども出版され話題になりました。これは、痛みや不安、緊張を和らげます。

この物質を、上手に使用するとストレスが解消されます。これについてはまたいずれアップします。

外分泌ルートについて(ノルアドレナリン 系)

視床下部からのCRHにより自律神経が活動した場合は、交感神経からノルアドレナリンが分泌されます。その刺激を受け副腎髄質からは、アドレナリン・ノルアドレナリンが分泌されます。

アドレナリンが分泌されると、体の各器官に血管の収縮・瞳孔の散大・血圧の上昇・心拍数の増加などの働きが促されます。アドレナリンのこの働きもストレス状態から体を防御するために欠かせないものなのです。

これも、過剰に分泌されるとイライラしやすくなるためよくありません。

ストレスによる変化

図5:ストレスの反応

生理学者のセリエは、生体にストレス要因が加わると、そのストレス作用がどのようなものであっても一定の反応経過をたどるという有名なストレス学説を提唱しました。

図5に示した一連の反応は、生体にとって適応的な反応であることから、「汎適応症候群(General adaptation syndrome: GAS)」とも呼ばれます。

ハンス・セリエは、副腎を摘出したマウスは、こういった3つの反応は起こらず、副腎皮質から出るステロイドホルモンが重要な働きを示していることを証明しました。

ストレスが長期間続くと、ストレスホルモンが過剰に分泌されることにより免疫の働きを抑制する作用をもたらします。その結果、異物の進入に対しての防御体制をとる力が弱められ、病気にかかりやすくなってしまうことにもなるのです。

ストレスは、体全般によくありませんが、記憶の入り口の海馬にも大敵です。

海馬はストレスに弱い

脳はストレスを受けると図4に示すように、HPA視床下部-下垂体-副腎系 hypothalamic-pituitary-adrenal )系とノルアドレナリン 系の2つの系で対処します。

ストレスと海馬神経細胞の障害には神経成長因子(Brain derived neurotrophic factor BDNF)が関与しています。

BDNFは脳内にいっぱい分布していて神経の分化・成長そして成体の神経細胞の生存に大きく関与しています。

ストレスによりHPA系が活性化され、コルチゾールが増加します。

すると、海馬のCA1・CA3の神経細胞と歯状核の顆粒細胞のBDNFの量を急速にさらに長期間に渡って減少させます。

したがって、歯状回の顆粒細胞の新生が抑制され、海馬の神経細胞は樹状突起の短縮により萎縮します。要するに海馬が萎縮して小さくなることになります。

このことは、記憶に関する「覚えること」や「認知」などにも影響してしまうことが想像に難しくありません。

噛むことと海馬の関係性は?

ざっくりですが、脳が機能的に正常で、海馬の機能が良好なら記憶も良好と考えられます。咀嚼することと海馬の関係について調べればその関係性がわかります。そこで、ちょっと探究してみました。

いくつか文献2)3)4)6)7)を読んでみた結果、噛むことで海馬が活性化し、逆に噛めないと海馬が萎縮することがわかりました。

代表的な実験をご紹介します。

ラットを用いた八方向放射状迷路の実験では、臼歯部を抜歯して咬合しなくした方が、エラー数が多く、実験用義歯で咬合を回復するとエラーが減少しました。

さらに、海馬の細胞数の変化も行動学的実験結果と整合性のある結果でした。12)

咬合状態が不良になると記憶の入り口である海馬の減少が起こるようです。そのことは、短期記憶ひいては長期記憶の障害を起こしてしまうことを想像させます。

咀嚼と記憶はすごく密接な関係」にある様です。

また、咀嚼は、食物摂取だけでなく、一般的な健康の維持と促進にも重要で、最近の研究では、咀嚼が海馬、空間記憶と学習に不可欠な中枢神経系領域の認知機能を維持するのに役立つことを示していました。2)3)4)

噛むことは学習効率を向上させる!

噛むことで学習効率が向上したことを人間で確かめた実験があります。10)

実験は、MRI装置内のスクリーンに「A、D、B、A、C…」などの文字を2秒間隔で1秒間表示し、被験者には、「2つ前(あるいは3つ前)の文字と同じ場合にボタンを押す」という指示を与えました。

無味無臭のガムを、噛んだ直後の状態と、ガムを噛まない状態でそれぞれ測定を行い「BOLD信号(脳活動を反映する信号)」の上昇率の差と正答率を計測しました。

ガムを噛まない状態で作業を続けると、正答率とBOLD信号が低下しますが、ガムを噛んだ直後では、正答率もBOLD信号も回復することがわかりました。

正答率が向上したということは、非常にざっくりですが、記憶されたと考えてもいいと思います。しかしながら、長期記憶として記憶されたかはまた別物です。

咀嚼とストレス

咀嚼をすることで、ストレスが解消することを証明した有名な実験があります。13)

マウスを仰向けにして動けない状態で固定し続けると、ストレスにより100%のマウスが胃潰瘍になります。しかし、口に木片を噛ませて食いしばりができるようにしたマウスを同様の状態にすると、胃潰瘍になったのは66.7%に減少するのです。

つまり、噛むことでストレスが解消されていることになります。

まとめ

噛むことは記憶力と関係

日々の臨床で当たり前のように行っている咀嚼機能の維持や咬合不調和の改善は、患者さんが咀嚼できることだけでなく、海馬の記憶能力の維持に非常に重要であるようです。

さらに、歯を喪失している高齢者の有病率や認知症発症率が高いという疫学調査も考えると(「噛むことと認知症」を参照してください)、高齢化が進む我が国において咬合を適切にして咀嚼ができるようにすることは、認知症予防にもつながることになると思います。

適切な咬合状態を維持し、咀嚼することで、脳への求心性の情報がたくさん送られ、脳を活性化して神経細胞がアポトーシスを起こさないようにすることをお勧めします。

また、咀嚼は、ストレスを解消することもわかっています。

コロナ禍でのストレス解消に、意識して普段より食事の際の咀嚼の回数を増やしたり、リズム運動になるガムを噛んだりすることを取り入れてみたらいかがでしょうか?

ストレス解消や記憶力がよくなるかもしれません。


参考文献

1)下濱俊. “アルツハイマー病の治療.” 日本薬理学雑誌 131.5 (2008): 351-356.

1)Chen, Huayue, et al. “Chewing maintains hippocampus-dependent cognitive function.” International journal of medical sciences 12.6 (2015): 502.

2)Sasaguri, K., et al. “Involvement of chewing in memory processes in humans: an approach using fMRI.” International Congress Series. Vol. 1270. Elsevier, 2004.

3)Alam, Md Jahangir, et al. “Adult neurogenesis conserves hippocampal memory capacity.” Journal of Neuroscience 38.31 (2018): 6854-6863.

4)小林琢也, and 近藤尚知. “口腔機能の障害は脳機能活動にどのように現れるか.” 岩手医科大学歯学雑誌 39.3 (2015): 88-97.

5)富田美穂子, 中村浩二, and 福井克仁. “咀嚼が短期記憶能力に及ぼす効果.” 日本口腔科学会雑誌 56.4 (2007): 350-355.

6)佐藤智子, et al. “咀嚼が一般高齢者の短期記憶に長期的に与える影響.” 日本ヘルスサポート学会年報 2 (2015): 11-20.

7)小林義典. “咬合・咀嚼が創る健康長寿.” 日本補綴歯科学会誌 3.3 (2011): 189-219.

8)永井俊匡, and 朝倉富子. “咀嚼が脳の発育を促進する.” 日本調理科学会誌 52.2 (2019): 126-128.

9)大野晃教, and 木本克彦. “咬合・咀嚼と認知機能.” 日本補綴歯科学会誌 8.4 (2016): 364-368.

10)Hirano, Yoshiyuki, et al. “Effects of chewing in working memory processing.” Neuroscience Letters 436.2 (2008): 189-192.

11)湯舟英一. “長期記憶と英語教育 (1)―海馬と記憶の生成, 記憶システムの分類, 手続記憶と第二言語習得理論―.” 東洋大学人間科学総合研究所紀要= The Bulletin of the Institute of Human Sciences, Toyo University 7 (2007): 147-162.

12)飯田祥与. “咬合支持の喪失と回復が空間記憶や高次脳機能に及ぼす影響.” 日本補綴歯科学会誌 8.4 (2016): 369-373.

13)Sato, Chikatoshi, et al. “Bruxism affects stress responses in stressed rats.” Clinical Oral Investigations 14.2 (2010): 153-160.


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